NICUに3カ月入院!毎日たった3時間の、面会で怒涛の日々

妊娠

こんにちわ。天と華ブログです。

今回は娘がNICUに3カ月入院していた時のことをお話しようと思います。

▽▽娘の病気のことについて詳しくお伝えしている記事はこちらになります▽▽
まずこちらをご覧になってから今回の記事を読んで頂きたいと思います。

初めに少し自己紹介させてください!

天と華ブログ:26歳3児の母で、現在シングルマザーです。
長女、次女、長男の3姉弟です。そして保育士でもあります!
仕事でも家でも保育園状態でパワフル母ちゃんやってます(笑)

令和2年8月18日 次女が誕生しました。出産したその日にミルクを自分の力で全く飲むことができず大きな病院に救急搬送されました。そこからNICUでの入院が始まり、いろいろな検査の結果染色体異常の病気が発覚しました。

まさか3カ月という長期入院になるとは思わず、ミルクや服、オムツやベビーベッド、おもちゃなど赤ちゃんを迎えるための物を部屋全体に準備して万全な体制をとってた私(笑)長女の時は何もかも分からない状態での新生児期を必死にお世話していたけど、二人目だとある程度分かってるのですごく楽しみにしていたのに…

生後3カ月の間は私がお世話することができず、毎日面会に行って次女を眺めるか抱っこするかだけの日々でした。

しかも、絶賛コロナ渦で、面会時間は月曜日から日曜日まで毎日13時から16時のたった3時間だけでした。家から病院まで片道1時間弱、往復2時間弱かかるので毎日怒涛の日々でした。コロナのせいで面会者はパパママのみで子どもは入れなかったので平日と土曜日は長女を保育園に連れて行き、買い物と掃除と夜ご飯の準備をして面会に行ってました。仕事よりきついかも…と思ってましたが、面会だけは毎日欠かさず行きました。日曜日は長女を元旦那(当時は旦那)や元旦那の親に見てもらって面会に
行ってました。特にきつかったのが、搾乳に関してです。次女はNICUで看護師さんにミルクを飲ませて
もらいますが、やっぱりミルクよりも母乳の方が栄養もありますし免疫物質も多く含まれているので毎日母乳を持って行ってました。毎日3時間おきに自分の手や搾乳器を使って母乳を冷凍保存し、直接飲ませてあげることのできない辛さ、赤ちゃんもいないのに夜中も3時間おきにアラームをかけて一人で起きて搾乳するむなしさが、体力的にも精神的にもすごく辛かったです。

もう一つ辛かったことは、経管栄養に関してです。次女は自力でミルクを飲むことがあまりできなかったので家に帰っても鼻からの経管栄養でミルクを与えなければいけませんでした。そのために経管栄養の手技を看護師さんに習い、毎日の面会中にミルクの時間になった時は私が1から手順通りに経管栄養を行っていたのですがそれは全く辛いことでは無くて、鼻から胃まで入れているカテーテルを毎週入れ替えなければいけなかったんです。次女は筋力の低下により声を出して泣くことができなかったのですが、痛いときだけか細い声を出して泣いていたんです。コロナやインフルエンザの鼻からの検査ってとっても痛いですよね?それと同じようなことを毎週しないといけなくて、初めて私が面会中にカテーテルの入れ替えをした日に次女の泣き声を聞き、すごく辛い思いをしました。泣き声は小さくとも、泣ききらない娘が声をあげて泣いたという事はそれだけ娘にとって痛い行為なんだと思うと、「痛いよね…ごめんね…」と。

ちなみに、産まれてからそのときまで泣き声を聞いたことがありませんでした。なのでなおさらかわいそうになってしまって…。

今となってはこの入院期間も、たった3時間という限られた時間での面会の日々も「あんなことあったな~。心が痛かったな~。」と笑って話せる思い出になっています。痛いことも苦しいことも頑張って乗り越えてきてくれた次女、病気は一生治ることはありませんが今元気な姿を見られるのは病院の先生方、必死に頑張ってくれた次女のおかげです。
もうすぐ4歳になりますが、今でも毎月病院に行き採血や検査、毎日の家での注射も頑張っています。いつまでも元気いっぱいな娘の姿を見ていられるように母は願うばかりです。

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